現場は古い雑居ビルだった。
外壁の塗装は剥げ、夜風に錆びた看板がかすかに揺れている。
勇士は足を止め、建物を見上げた。
「……優斗」
背後で、短く返事が返る。
「はい」
それだけで十分だった。
声が揺れていない。呼吸も乱れていない。
勇士は一歩前に出る。
「俺が先に入る。お前は三歩後ろ。視界は右」
「了解です」
優斗は迷わない。
その即答に、勇士は胸の奥がわずかに軋むのを感じた。
——信じている声だ。
階段を上がる音は、やけに大きく響いた。
二階。人の気配。微かな足音。
勇士は拳を握り、手で合図を出す。
止まれ。
優斗はぴたりと止まる。
勇士は一瞬だけ、ためらった。
このまま自分が前に出るべきか。
二人で行くべきか。
——考えるな。
思考を切り捨て、勇士は前に踏み出した。
ドアが開く。
中にいた男が振り向くより早く、勇士は間合いに入る。
短い攻防。
床に倒れる音。
静寂。
勇士はすぐに振り返る。
「……無事か」
「はい。問題ありません」
優斗は少し息を詰めながらも、笑っていた。
「先輩、判断早いっすね」
その言葉に、勇士は返事をしなかった。
代わりに、視線を逸らし、次の部屋を確認する。
作戦は成功だった。
被害も、怪我もない。
建物を出たあと、夜気が二人を包んだ。
優斗が、ぽつりと言う。
「……初任務、緊張しました」
「そうか」
「でも」
優斗は少しだけ照れたように続ける。
「先輩が前にいたから、大丈夫だと思えました」
勇士は歩みを止めない。
ただ、ほんの一瞬だけ拳を強く握る。
——その言葉を、知っている。
かつて、同じ声で。
同じ距離で。
勇士は前を向いたまま言った。
「次も同じだ。俺が前に出る」
優斗は、少し驚いた顔をしてから、頷いた。
「はい。ついていきます」
勇士は何も言わない。
ただ、歩幅を一定に保った。
迷わない。
二度と。
それが、この初任務で
勇士が自分に課した、唯一の誓いだった。